オリエンタルcasual和装協会♡できました

令和の日本で着物を楽しむには? キモノ処分ゼロを目指しています。

世の中の騒がしさ

おはようございます

 

そろそろ厚手の着物は着れないかな〜

結城や真綿紬、織りのウールはタンスにしまって・・・

 

白大島なんかいいですね。

 

2020年は疫病で開けることになってしまいました。

戦後の日本では経験のない教育機関の一斉休校が始まり一週間。

世の中混乱しています。

報道を見ていると、疫病というのは弱いものへのしわ寄せがきついんだなと。

紅は日本という国の中では弱者だと自覚しているので

「弱いもの」

という切り分け方は違うんじゃないかと考え直してみると

「99%で生きている人たち」

と言えるのかもしれない。

 

日々、一生懸命生きている人たちを直撃するのが疫病。

 

疫病にも全力で立ち向かっちゃう。

日々の生活を成り立たせようと奮闘する。

結果、進歩する。

社会変革が起きる。

 

つまりパワーの源。

 

一斉休校が始まって、子どもの預け先に困った母たちが編み出したのは

ママ友とつながる。

助け合う。

連携する力を身につけたママたちは将来素晴らしい人財になりそうです。

子育ては孤ではできないものだから。やっと修正がなされそう。

益な部分もある病なのかも。

 

でも、

99%で生きていると倒れやすい。

 

正解はひとつじゃない。

いえ、正解なんかない。

と気づく出来事になるといいなと。

 

2ヶ月後がかなり心配。  紅

 

 

 

 

出会うということ

おはようございます

休日の朝、すでにヘトヘト気味の紅です。

 

時々、書きたくなることがあります。

通り過ぎてしまえば日常に溶け込んでしまうような些細なこと。

 

そこにフラグを立てて、目印をつけたいと「書く」のでしょう。

 

すでにこの春はいろんな方との出会いがありました。

 

先日、お嬢様の二十歳の記念撮影にご一緒に着物を着るという女性が半衿付けを依頼に来てくださいました。

 

婚礼の着付けの仕事から帰ってからお目にかかったので夕方から。

半衿をつけながらお話をしました。

3月まで無料で「着物のたたみ方講座」をしているのでその場で練習して頂いたり。

済んだ頃には20時を回っていました。

 

着物に関するいろんなお話をして

「知らないことを聞くのは楽しかったです」

と言っていただきました。

 

誰かと出会う仕事なのですが、今まではなんだか自分を基準に考えていたみたいな気がします。

いいお客様か? とか。

 

そう、しばらく前から・・・

「その方にとって、出会ってよかったと思える人でありたい」

と感じている自分を発見しています。

たぶん年をとったせいなんでしょうね。

ここにはフラグを立てておこう

 

年齢を重ねることが誇りに思えるような社会に住みたい。

着物が溶け込んでいる日常にはそれがあるような気がします。

 

やっぱり、着物のテーマパーク創りたいな〜  紅

 

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友人が実家から救い出してくれた絹の長襦袢を仕立てました

 

違いがわかるということ

おはようございます

今日は和裁のレッスンのお客様を待っている紅です。

 

幼いお嬢様に

着物コスプレさせたいと

着物をリメイクしたいとのこと。

このお話はまた詳しく。

 

先生の引退に伴って、和裁の特訓を受けている紅ですが、昨日は

「違いがわかるということ」

を勉強しました。

 

目の前で先生が結城紬の反物と

「挨拶→対話→ダンス」

していたみたいに感じました。

(実際は見積もり→柄合わせ→印つけ)

淀みなく迷いなく淡々と

 

今まで

「覚えたい」

と頑張っていた

「急所」

と呼ばれる和裁の技術がフラットになっていきます。

 

全てが流れるような一連の動き。

日舞のように主役はいない、共同作業のダンスのように。

 

「違う」

と感じました。

 

目に見える、仕事として残る針目や、留めの間と間をつなぐもの。

行間のようなもの。

次の動きをはらみながら刻々と・・・

 

「私にはない」

 

間は単なる間ではなく

静寂は無音ではない

 

名人と自分の違いがはっきりとわかった大切な瞬間。

 

これからの私は、針を持ちながら何度も

「違う違う」

と嘆くことでしょう。

 

名人は教えない

 

ということの意味がつかめました。

「違う」

がわかることが物事を習得するときのスタート地点なんだって。

 

私は名人にはならないと思いますがぼちぼち

「違う違う」といい続けたいと思いました。  紅

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和裁の先生だった友人にいただいた くけ台

 

12年ぶり

おはようございます

紅です。

 

新しい企画を事業計画書にしようと関連書類を探しつつ、

いらないものを捨てようと書棚から紙束を取り出したところ

12年前くらいに立ち上げていたネットショップのブログ記事でした。

 

過去の自分と再会です。

 

・・・頑張っていました・・・私

 

着物のお仕立てやお直しや、着付けのレッスン

着物でのお食事会や帯結びの研究会、指ぬき講座・・・

いろんなことにチャレンジしていました。

 

でも、過去になりました。

 

にぎやかだった生徒さんやお客様、スタッフさんまでもがお引越しや、妊娠などで着物から遠ざかってしまいました。

紅もしょんぼりと立ち直れなかったのですね。

 

その後のことはあんまり覚えていません。

 

辿っていけば・・・それからの紅は

 

町おこしのボランティアしたり、利き酒会を始めたり、起業セミナーに足しげく通いロケーションフォト事業を立ち上げたり、婚活イベントしたり、ガレージセールをしたり、オリエンタルcasual和装をしたり、古物の許可を受けたり、古着屋さんも始めそうな勢いです。

 

和裁はずっと続けていて

引退間近な先生に後継認定していただいて、特訓を受けている真っ最中。

素晴らしい技術は覚えて伝えていきたい。

 

細々だけど紅なりに一生懸命やっています。

 

やっぱり

きもの

なんだな。

 

今は「伝える」が目標になりました。

 

着付けの技術を教えるのではなく、着物の縫い方を教えるのでもなく

もう少し深いところ。

祖先たちが手塩にかけてきた「着るもの」を伝えたい。

 

物欲にまみれた、人よりもお金に重きを置かれるこの社会を

今一度洗濯したいと思う

今日の紅です。

 

また12年後!

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桜の飛び小紋

 

今日は つぶやき

おはようございます

紅です

 

家での仕事環境を整えようと配置換えしたら、パソコンが打ち辛くなりました。

誤タッチばかりしています。

たった今、マウスパットを取り去ったら少し改善しました。

「いらなかったんだ・・・」

平らな板をテーブル代わりにしていて、その上に汚れ防止のプラシートを敷いているのでマウスは動くんですね。

 

「打ちやすくなりました」

何か台になるものを見つけて少し高さと傾斜をつけたら

「もっと打ちやすくなるかも?」

 

起きてから、ご飯も食べずにパソコンに向かいすでに

2時間半

 

SNSのケアに時間を取られています。

「1㎝ほどの厚みのあるタウンページを台にしてみた」

どうなんだろう?

 

些細なことと今まで我慢していたのに、今日はなぜか気になる。

しばらく試してみるしかないかな〜

 

たぶん、周期的に訪れるモラトリアム期に入ったみたい。

 

閃きはあったけれど

壮大な目標を前に呆然としている・・・それにも気づいていないみたいな。

「それでキータッチが気に触る」

 

走り出してしまえば落ち着いてくるんだけど。

自分の才能に自信があるわけではないから。

それを高めるためにも動かなきゃ。

 

「何から手をつけよう?」

途方に暮れている?

 

とりあえず、ご飯を食べよう。

年末年始の暴飲暴食がたたり、食べ過ぎサイクルに陥ってしまっていたので

一週間前から

「炭水化物抜き」

をしています。

お腹以外は痩せたような気がする。

「体重計がないんです」

 

メインは大根をいただいています。

冷凍庫にかぼちゃもあったのでスープでも作ろう!

 

「キータッチは改善されたみたい」・・・

 

 

閃きの確度上がる?

こんばんは

紅です。

 

今朝は暗いうちから電車に乗り、バイト先である結婚式場に向かいました。

乗り換えで電車を待っている時に

ふと

閃きました。

 

「私がやりたいこと」

がもう一つ立ち上って来ました。

 

それは、最近起きた新しい体験の延長線上にあり、何かと何かがつながった瞬間という感じ。

 

今までは、問題解決のために何かを探し求めている感じだったのだけど。

 

やりたいことができ始めたからかもしれない。

人の好意や応援に恵まれたからかもしれない。

 

閃きの確度が上がったような・・・

 

ライフワークが見つかったような。

 

死を迎えるまでにやりたいことの焦点がしぼられたという感じ。

 

でも、その後の今日はというと

敵意帰属バイアス

を地で行っているような気持ちが湧くことに気づいた。

他人の行為に悪意を感じている自分を見つける。

「私は自信がないのか?」

 

たぶんこんな気持ちは誰にでも起こること。

軽度の敵意は誰の胸にも湧く。

理由があればなおさら。

これは正常反応の範囲じゃないかな。

 

『Give &Take』アダム・グランド著

という本の説く

「ギバー と テイカー」

という考え方を自分に当てはめてみる。

イカーではない。

たぶんギバーの低成績者だったんだと思う。

 

イカーを排除することは有効なことだと氏は説いている。

 

イカーを認定し、排除の行動を始める・・・

この課題がうまくできなくて

人を排除することで自分の手を汚したくなくて

「その人がテイカーであることを認めない現状」

「でも、その人がテイカーであることを薄々気づいている自分」

その対立がもやもやしているみたい。

 

人はいいところもあるし悪いところもある。

いい人の時期もあるし悪い人になる時期もある。

だから人を切り捨てない。

というのが私のモットーだったんだ。

 

もちろん、去っていった人もあるし排除した人もある。

その理由は

仲間を傷つけたから

というのが私のルールだった。

 

だけど、うまいこと立ち回って人から搾取する人間を、

場面が変わると調子のいいことを言って一貫性のない人を排除することは考えていなかった。

 

それも自分の弱さなんだなと。

人に敵意を感じることがあっても人並みと思う。

人を排除する自分を肯定できる強さを持ちたい。紅

 

話しても無駄ということ

こんばんは 紅です

 

「話せばわかる」

って随分前から聞きます。

 

それでも抗争は起きるし、戦争は終わらない。

 

「敵意帰属バイアス」

という言葉を聞きました。

 

遅ればせながら

なるほどな〜

と思いました。

 

他意ははなくても相手のなすことに敵意があると感じてしまう。

それは感じる方の自信のなさから来ているという。

あおり運転する人の心理はこんな様子だと。

 

思い当たります。

 

その敵意に自分も反応して動かされてしまうと、未来はない。

 

昔、カウンセリングの勉強で学んだ

ゲーム

と同根なんだな。

 

そんな時には

話しても無駄。

 

時期が過ぎ去るのを待つしかない。

でも、敵意帰属バイアスを日常的に発動する人と関わるのはエネルギーがいりますよね。

事業を立ち上げる際に関わってもらってはいけない人だということが心底理解できました。

 

敵意帰属バイアスの方とうまくやっていくには

「自信のなさを解消してあげる」

ということが解決につながると。

 

そうなんでしょうが、私に力がない間は、距離を置かせていただくことが必要なんだなと学びました。

 

「誰も切りたくない」

と思っていた創業時代。

やっぱり距離は必要なんだなと今頃になって理解しています。  紅