違いがわかるということ
おはようございます
今日は和裁のレッスンのお客様を待っている紅です。
幼いお嬢様に
着物コスプレさせたいと
着物をリメイクしたいとのこと。
このお話はまた詳しく。
先生の引退に伴って、和裁の特訓を受けている紅ですが、昨日は
「違いがわかるということ」
を勉強しました。
目の前で先生が結城紬の反物と
「挨拶→対話→ダンス」
していたみたいに感じました。
(実際は見積もり→柄合わせ→印つけ)
淀みなく迷いなく淡々と
今まで
「覚えたい」
と頑張っていた
「急所」
と呼ばれる和裁の技術がフラットになっていきます。
全てが流れるような一連の動き。
日舞のように主役はいない、共同作業のダンスのように。
「違う」
と感じました。
目に見える、仕事として残る針目や、留めの間と間をつなぐもの。
行間のようなもの。
次の動きをはらみながら刻々と・・・
「私にはない」
間は単なる間ではなく
静寂は無音ではない
名人と自分の違いがはっきりとわかった大切な瞬間。
これからの私は、針を持ちながら何度も
「違う違う」
と嘆くことでしょう。
名人は教えない
ということの意味がつかめました。
「違う」
がわかることが物事を習得するときのスタート地点なんだって。
私は名人にはならないと思いますがぼちぼち
「違う違う」といい続けたいと思いました。 紅